2001年9月11日、ホスピスへ
2001年9月11日ワールドトレードセンターの倒壊。世界中の人々が鮮明に記憶に残している特別な日であろう。私にとり、その日はそれとは別に大きな意味を持った日でもある。この日私は初めてタイ最大のエイズホスピス、プラバートナンプー寺を訪れた。2年近くに及ぶバックパック旅行の最後の目的地として選んだ場所だった。
プラバートナンプー寺は、バンコックから北へ約150km、ロップブリ市という人口5万4千人の地方都市にある。この街の特色はサルの多さであろう。駅に降り立つとクメール王朝時代の寺が今も残る旧市街に、サルが大勢放し飼いにされているのが目に入る。人間に慣れてはいるが、時には威嚇的になるそれらサルに、私も滞在中何度か被害にあった。
9月11日、ロップブリに着いた翌日、早速そのホスピスを訪ねてみることにした。幹線道路から小道に入り約4km、小さな村々を過ぎると、道の左右には見渡す限りのとうもろこし畑が広がる。丁度収穫期を迎える頃で重い実をつけていた。前方には特徴ある形の硝石の山々が屏風のように立ちはだかり、それ自体が一幅の絵のようである。目指すエイズホスピス‘プラバート ナムプー寺’はその岩山の裾野にあった。
敷地内に点在するバンガローや、ホールのような大きな建物を通りすぎ、ひとまず落ち着こうと腰を下ろした売店で周りを見回した。異常に痩せて、やっとのことで身体を支えているような人がゆっくり、ゆっくり近づいてくる。「ああ、この人たちが話に聞くエイズ患者なのか」。なぜか見てはいけないものを見たような気がした。
しばらくすると一人の長身の西洋人が売店に来た。売店のオーナー、サムリット氏が私をそのオランダ人、ビクターに紹介してくれた。彼の説明によると現在2棟のホスピスに約100人の末期患者がいて、それ以外に歩行が出来る患者が150人程度バンガローで暮らしているということだ。「じゃあ、あの通りすがりに見たバンガローは患者さんの住居だったのか」と納得した。
彼の説明はさらに続く。ボランティアの役目はホスピスで患者さんの身の回りの世話をすること。主な仕事は清拭、紙オムツの取り換え、マッサージ等。「エッ!紙オムツを取り換えるの!?」と心で叫ぶ私。子供を持ったことのない私は今までオムツを換えた経験は数えるほどだ、ましてや大人なんて!
説明を終えたビクターは「なんなら今から病棟を案内するが、それを見たあとでやっぱり出来ないなどとは言わないでくれ」と念を押した。この時期はヨーロッパ人や日本人ボランティアが一番少ない時期で、現在はビクター一人が残っているだけだと言った。それだけに彼の私への期待感が痛いように感じられた。私は大いに迷った。正直言って今日は様子を見に来ただけで、よくやってもボランティア登録だけにしようと思っていたからだ。ホスピスの患者に会う気持ちの準備がまだ出来ていない。
ビクターの指し示した平屋建ての病棟の玄関の扉が左右に開け放たれているのが売店からも見える。その奥にどんな世界が広がっているのか?怖気はあった、でも生来の私の意地っ張りが、「分かりました」と言わせていた。
ホスピスの病棟は2棟で旧館は‘ワライラック’そして2年前に完成した新館は‘メッタタム’と名付けられている。ビクターはまず旧館に案内してくれた。古い木造の建物に入るとすぐ鼻につく形容しがたい臭い、この臭いは一体何だろう?糞尿?死臭?薬品臭?多分その全てだろう。ビクターが看護婦詰所のカウンターに置いてあった使い捨てマスクとゴム手袋をつけるように指示する。「助かった」これで臭いからは開放される。病棟の両側にずらっと並べられたベッド。建物が古いせいか、午前10時過ぎという時間にも関わらず、室内は薄暗い。ベッドは40床ぐらいあるだろうか。2,3の空きベッドを除いてどれもふさがっている。しかしそれだけの人がいるとは信じられないくらいの静けさ。
ベッドで横たわる人々は私の想像を絶した。中でも肌の状態が酷い人が多い。膿を持った腫瘍が全身を覆っている人がいるかと思えば、鱗子のような乾いた破片で全身覆われている人。かぶれたような赤い肌が痛々しい人。苦しそうな息づかいでこちらを見やる人もいる。一人の男性は臨終間際らしく白目を向いている。その回りを職員が忙しげに立ち働いていた。
その時「みち子、オムツを換えたことがある?」とビクターが聞いた。私は「ない」と言いつつも、ビクターの目の力に押されて、思わずやってみると答えた。患者は殆んど全員が紙オムツをつけたままベッドに横たわっている。一人の男性の紙オムツを換え始めた。ビクターの目が試験官のように感じられる。息をつめて早くこの場をやりすごしたかった。赤ん坊のとは違い、大きな紙オムツを患者の臀部の下に押し込み両翼の接着テープで止める。簡単なことだが、初めての身には大仕事のように感じられた。なんとか終わった。患者とビクターの手前「こんなこと、何でもない」という風を装ったが、内心、赤の他人のおしめを換えたことが気持ちの中でうまく消化できていなかった。ビクターはその間もスタッフや一部の患者さんに「明日からボランティアに来てくれるみち子」だと紹介してまわる。私はその時点ですでに、そんなことをいうのはやめて欲しい、と思っていた。本当に出来るか全く自信がもてなくなっていたからだ。
左右振り分けで置かれたベッドの間のスペースは通路。その一番奥に裏口が見える。裏口の手前の左右に、仕切りのある小部屋が結核患者の隔離部屋である。その結核患者の部屋の前に‘何か’が積み上げられていた。遠めに見ながら「まさか?」と思っていたが、近づいてみて私の予想が当たっていることに気がついた。棺桶だ。白く塗られたのや、木目のままのものもある。棺桶の幅の分だけ通路が狭くなっている。死期の近い患者の目の届くところに、棺桶。「そんなことを出来るのはどういう神経だろう?「あまりにシュールレアリスティック(超現実的)」と使い慣れない言葉が思い浮かんだ。
裏口を抜けると前方に4階建ての白い建物が見える。それが新館のメッタタムだ。太陽のまぶしさが心地よい。まさしく地獄から帰ってきたような思いがする。マスクをはずして深呼吸をしてみる。私はそれまでに見た情景に度肝をぬかれ、もう充分だと思っていたが、ビクターはその長身の身体を前かがみにしながら、足早に新館を目指している。
新館は新しいだけあって、明るい雰囲気だ。まず半地下に下りていくと正面に看護婦詰め所がある。建物の新しさもあって、普通の病院のような雰囲気をかもしだしているのが、私をホッとさせる。その詰め所の両翼に病棟がある。向かって左が女性の病棟。20ほどのベッドが並んでいる。大きく開かれた窓の向こうにはとうもろこし畑が広がっている。
ビクターが中ほどに置かれたベッドに横たわる人に英語で何か話しかけていた。私も近づく。話しかけた人の隣のベッドが空いていた。話の終わったビクターが下を指す。そこには棺桶が置かれていた。昨夜亡くなられたらしい。ビクターのビックリしたような表情からも突然の死であったのが伺える。その棺桶は係員が敷地内の遺体安置所に運ぶのを待っている。私は無造作に置かれた棺桶の存在が信じられなくて、その時点で吐き気をもよおしてきた。なんとかこらえて、詰め所を越えて向こうの右側、男性用の病棟、そして2階の比較的症状の軽い男性用の病棟と案内されるまま次々回った。
病棟のあとは敷地内にある建物を案内される。まず、‘死体博物館’。そこにはガラスケースに入ったホルマリンにつけられた遺体や乾燥してミイラになったような遺体が台の上に安置されていた。遺体の前には大きめの楯が置かれ、中には生前の写真とタイ語で書かれた説明書がある。男女の遺体や子供のそれに混じっていわゆる‘おかまちゃん’の写真もある。‘彼女’の全身は干からびているが、空気が抜けかけた風船のような整形した乳房が異様に感じられる。楯の中の写真は、頭の後ろに手を組んでポーズをしている美しい人だ。ビクターが看取った人らしい。「彼は自分の美しさをとても誇りにしていたから、こんな姿をさらすのは絶対に望んでいないよ」と吐き捨てるように言った。
次に案内されたのはお骨の安置所。仏像の周りを囲んで布製の白い袋が山のように積まれている。その中身は一人分のお骨だ。いわゆる無縁仏が、引き取り手のないまま安置されている。一通り案内が終わったあと、ビクターは仕事があるからと去っていった。その前に「じゃ、明日」と念を押すのも忘れなかった。
お寺の正面ゲートにたどり着くとオートバイが客待ちをしていた。すぐに乗り込み、もと来た道を戻った。顔にあたる風が気持ち良く、人心地がつく思いだった。出来るだけ早くあの場所を離れたかった。国道に出ると車が行きかい、見慣れたタイの地方都市の風景がある。バスに乗り込みホッとすると「私の今見てきたのは現実だったのか」という思いがふたたび蘇る。あの岩山に抱きかかえられるような場所にある、あのお寺の一角はこの世とは全く関係の無い場所のような気がする。そこだけが密やかな暗黒の世界のような、、、
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