グラフィックデザイナー

 

彼は英語の堪能な40才ぐらいの男性。ゲイで、デザイン事務所で働いていた。いつも婦人雑誌を広げていたのが印象的だった。HIVに感染していることが周囲に知れたばかりに仕事を解雇された上、親戚にも見放され、この寺で残り少ない日々を過ごすことにしたと言っていた。何度か自殺行為をし、そのため果物ナイフやスプーン、フォークは看護婦に取り上げられていた。

 

ある日マッサージが終わったあと「みち子、ゴミ袋を呉れ」と言った。私は何も考えずに言われるまま少し大きめのビニールのゴミ袋を持ってきて「この引き出しに入れておくからね」とベッドサイドのテーブルを指した。

 

ホテルの部屋に戻り、いつもの通りシャワーを浴びながら「アッ!」と思った。彼はあのゴミ袋で自殺するつもりかもしれないと気づいたのだ。ゴミ箱にゴミが溜まれば職員や私たちが定期的に捨て、新しいゴミ袋に代えていく。彼はもう動けない身体だから自分で捨てるのは不可能だ。顔にかぶって窒息死をするつもりだ。

 

それしかないと思うと身体が震えてくるようであった。あわててシャワー室を飛び出し、取るものもとりあえずホテルの前に止まっているバイクタクシーに飛び乗った。心臓がどきどきしていた。夕方6時以降はボランティアも帰り、人気の無い場所でそれは簡単に実行出来る行為だ。寺までの真っ暗な道を走るオートバイにまたがりながら「どうしょう、どうしょう」と思っていた。寺につくとバイクタクシーの運転手に待っていてくれるよう頼み、一目散に旧館まで走った。

 

旧館に入るとシーンとしている。まだ夕方7時だ。たった2時間前まではそれなりに活気があった病棟が、まさしく‘死’が支配する世界に変わっている。その日までそれほど遅くまで病棟にいたことはないので、これには衝撃を感じた。私が昼間接している、明るく振舞っているかのように見える患者は一日の半分をこのように‘死’の足音を聞きながら息を潜めて耐えているのか?そんなことを一瞬のうちに思いながら彼のベッドまで行った。私を見た他の患者が何事か?と私を目で追っていた。ついたての向こう、彼は大きな蚊帳をベッド全体に広げ眠っていた。「無事だ!」ホッとすると同時に怒りがこみ上げてきて彼に強い言葉を投げつけてしまった「死ぬなら自分ひとりで死んでよ!私まで巻き込まないで!」と。

 

病棟に入ってくるときは気づかなかったが、ベルギー人医師がまだ回診していた。見学者が引きもきらないこのホスピスでは、彼は好奇のまとになることが多い。だからあえてそのような時間帯を選んで仕事をしているのだ。カルテを立てかけた脚立のような台を支えに何か書き込んでいたが、私に気づくと老眼鏡をかけた目を上目づかいにしながら「どうしたの?」と聞いてきた。

一部始終を説明すると笑いながら「みち子はナイーブ(うぶ)だ」と言った。そう、私は確かに‘うぶ’過ぎたかもしれない。絶望からの行為とは言え、彼の自殺の‘幇助者’の役目を押し付けられるのが我慢できなかったのだ。「彼の死」に「私」を巻き込んで欲しくなかったのだ。「彼の死」が彼の選択であれば、私は‘傍観者’として、翌日か、長くてその1週間後ぐらいまで、彼を気の毒なエイズ患者として記憶に留めておくであろう。医師は自殺であろうが、エイズ死であろうが、大差ないと思っているのだろうか?それに「私」が絡んでいないのであれば、私もそう思えるのかもしれない。数週間後、彼は息を引き取った。自然死であった。

 

 

 

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