さいごに

 

この日記の内容は3年前までのものですが、その間HIVAIDSを取り巻く環境も大きく変化をとげました。2001年から2002年当時のタイでは、抗HIV薬はまだまだ高嶺の花でした。患者のみならず、ボランティアの大半が薬の存在さえ知らなかったというのが現実ではなかったでしょうか。ましてやプラバートナンプー寺は終末医療の施設です。重症の患者が死に場所として来ます。かくいう私もボランティアを始めてしばらくの間は、患者の死は不可避なことと受け止めていました。

 

しかしタイ政府のHIV対策の一環として、200310月からエイズ患者のうち、症状が抗HIV薬を必要とする段階に至った人であれば、無料で薬を受け取れることになったときから事情が変わって来ました。その政府決定を受けてボランティアの有志が、患者に抗HIV薬服用の機会を与えようと働きかけ始めたのです。事前の検査に要する費用など、全ての費用はその有志たちが負担したそうです。結果的に患者の中から100人ぐらいの人が服用を開始することが出来、健康を回復した人は寺を出て郷里に帰ったり、寺の運営する別の施設に移ったりしました。この話を聞いて私も本当に驚き感動しました。この有志たちの行動はまさにボランティア精神の真髄であると思います。同時に、いままでなすすべもなく見送った「友人」たちのことを思い、感慨深いものがあります。

 

しかし、伝え聞くところによると、そのプロジェクト推進中もその後も、寺からはなんの精神的、金銭的サポートもなく、それどころか却ってボランティアのプロジェクトを阻止するような動きがあったといいます。20052月現在、ホスピスの患者が抗HIV薬の服用を希望する場合、阻止はしないが自分で病院に行き全てを自ら手配をするなら、という消極的対応が続いていると聞きます。下半身不随のエイズ患者や寝たきりの患者には現実的にその道は閉ざされているわけです。

 

寺のこの対応が何を意味するのか?慈善とは対極にある特別な意図が原因でない事を祈るのみです。

 

 

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