ここプラバートナンプー寺はタイでも唯一、HIV感染の僧を受け入れている。上座部仏教のこの国、厳しい戒律を科せられた僧が何故HIVに感染?と思うが、この人たちは出家するまでは一般市民で、感染を知り得度したというわけだ。

 

この寺で起居する僧で非感染なのはA師ともう一人の僧だけで、あとは全員感染者。彼らの主な仕事は、亡くなった患者の葬儀の際の読経。寺の広報誌の写真にあるように、僧が患者の世話をしているという光景はついぞ見たことがない。彼らは当時、まだ貴重品であった抗HIV薬を、希望すれば服用できた。仏経協会からの補助のおかげである。治療にはバンコックの高名な大学病院があたっている。この寺の僧殆んど全員が服用しているようだ。これを知った私の驚き、怒りは大きかった。寺では、正式には患者に抗HIV薬の服用を許可していない。A師は死の床にある患者に、「諸行無常、人間はいずれ死ぬのだから、自分の死を受け止めるように」と引導を渡していると聞く。それなのに、僧に抗HIV薬の服用を認めているとは、どういうことなのだろう。

 

僧たりといえども人間、いくら修行を積んだところで、死の恐怖感はぬぐえないだろう。それは理解できる。特に毎日、ホスピスで、同病に苦しむ患者が例外なく死んでいく姿に接していては。しかし、自分の立場上の特権と、目のあたりにする悲惨な現実とのギャップを、個人としてどう考えているのだろう。属する社会層が違うから、人間の質が違うからということで、気持ちの処理をしているのだろうか。仏陀の説く「慈悲」は、そのような人間の‘差’をすべて超える筈なのに。

 

 

 

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