見学者

 

私が最後まで慣れなかったことに‘見学者’がある。この寺はA師の方針もあり、マスコミを利用しての宣伝活動が非常に盛んで、見学者もその派生効果の一つである。マスコミを始め、軍隊、学校、一般市民と見学者は引きも切らない。タイのHIV禍の一端を担ったのは軍隊という説がある。この国の男子には兵役があり、ある地方に駐屯した隊員が性的交渉を持ち感染した場合、転地するごとに新任地で感染を広めるというわけだ。

 

そういった事情からタイの軍隊の兵隊は一年に一回HIV血液検査の義務がある。そして兵隊の教育活動の一環として寺を訪れ、病棟を回る。時には大型バス10台分にも上る人数の隊員が、二つの病棟を、列を組んで靴音高く通り過ぎる。患者たちは半面教師なのだ。しかし私には動物園の動物のように映る。寺としてはすべてを無料にしているのだから、それぐらい耐えろということなのだろう。確かに訪問者は寄付を落としてくれる大事な収入源だ。

 

人数が多い場合、訪問者はまず大講堂に通され、一通りの説明を受けたあと、寺の建物を回る。拡声器を持った寺の職員を先頭に、死体博物館、納骨堂そして病棟という風に回るのが一通りの‘コース’だ。病棟に入ってくるタイ人は必ずと言っていいほどハンカチ等で鼻を押さえている。そして大多数の見学者は、文字通りおっかなびっくりで病棟を通り抜けようとする。たまたま私たちがその場に居合わせたりすると、ガイドが「この人はどこどこの国から、気の毒な患者さんの世話をするためわざわざ来てくれています」と言って、場を盛り上げる。これも宣伝効果を上げ、寄付をより多く集めるためである。それを聞いたタイ人は立ち止まり、怖い物みたさのような態で患者と私たちボランティアを取り巻く。特に西洋人ボランティアには注目が集まる。ここでもアジア諸国特有の西洋人崇拝が根強いと感じる一瞬だ。そんな風に私が‘利用’されたために、患者がさらし者になるのがいやで、団体の訪問者の姿を見ると姿を隠すようになった。

 

この国ではHIV,エイズの盛んな広報活動にも関わらず、大半の人がいまだにHIVは空気感染するとでも思っているかのようだ。また、仏教で説く輪廻転生を半ば本気で信じていて、彼らがそのような状況に陥ったのは前世の行いが悪かったからだと思っているふしがある。ゆえにエイズ患者のような‘可哀想な人’にタイ人が寄付をしたり、お坊さんに布施をしたりするのは、現世での徳を積むためで、自分の為である。見学者は徳を積むためにありとあらゆる物を持ってくる。現金は寺に直接渡すが、その他菓子や飲み物、果物の類は患者に直接渡されるケースが多い。いきおい患者のベッドサイドのテーブルは、食べきれないほどの食べ物で一杯になる。患者にとり、まさしく飴とムチの世界なのだ。

 

患者の中には毛布をかぶって接触を避ける人もいるが、大多数の患者が近づいてくる訪問者があれば気軽に応じている。私の友人のスモウなどはやはり誰の目にも信頼できる人間と映るのか、特にそういう機会が多い。私たち外国人ボランティアにとり神経を逆なでするようなこの行為も、タイ人にとって「マイペンライ」なのか、この件で、文句を聞いたことがない。

 

 

 

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